「横浜市所蔵カメラ・ 写真コレクション」

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カメラ・ルシーダ


カメラ・オブスクーラ *1 と同じような光学装置の中で、写真術誕生の直前に生まれたものがあります。

ウィリアム・ハイド・ウォラストン(1766年-1828年、イギリス)が1806年に特許を取得したカメラ・ルシーダ(camera lucida)です。この装置はとても小さく折りたたむことができ、画家達が戸外で風景や建築を素描する際に利用されました。

カメラ・ルシーダ(ラテン語で”明るい部屋”)という名前が示す通り、カメラに必要な暗箱を利用していません。プリズムや鏡などの屈折を利用した簡易な構造によって、紙の上に風景を浮かび上がらせ、描画の補助を可能にします。

画家のみならず、科学者が素描する際にもカメラ・ルシーダが使用され、植物や微生物などの描写に一役買っていました。当時の自然科学の発達にともない、正確に対象を観察するという要求から、こうした装置の誕生が要請されたのでしょう。

カメラルシーダを使用している様子

机などに固定し、レンズ部分を覗きながら使用します。

カメラ・ルシーダ
フランス製・制作年不明
Camera Lucida

また、後に写真術を発明した一人となるウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボット(1800年-1877年、イギリス)は、カメラ・ルシーダでの素描がうまくいかず写真の研究に取り組んだというエピソードも伝わっています。

カメラ・ルシーダは描画の補助としての機能しか持っておらず、完成する絵の善し悪しは本人の描画能力に左右されます。紙の上に浮かび上がる像を正確に写し取るには、古典的な素描のノウハウが必要とされました。タルボットが求めていた「画像の定着」とは違った機能を持つ装置と言えるでしょう。カメラの前史として語られることの多いカメラ・ルシーダですが、その名が持つカメラ(ラテン語で”部屋”)という機能を持っていないという点からも、現代のカメラに繋がる光学装置というよりも、観察器具として位置づけられたほうが、より正確であると言えます。

カメラ・ルシーダに関する興味深い仮説として、絵画や写真を使った作品で知られているデイヴィッド・ホックニー(1937年- 、イギリス)が著作 *2 の中で考察を展開しています。ホックニーはルネサンス期に生まれた遠近法や写実的観察には、レンズや鏡などの光学装置が使用されたのではないかと考え、その再現を試みました。彼はカメラ・ルシーダを使用した素描を描いたことで、15世紀の画家の素描にも類似の特徴を見出しています。現時点では、当時どのように光学装置が使用されたのかを証明できるまでには至っていないものの、ルネサンスに花開いた芸術表現にこうした裏話があるとする着想はとても興味深いものです。

1806年にカメラ・ルシーダが実用化されてから、1839年に写真術が発表されるまで、わずかな期間しかありませんでした。写真術の誕生以降、観察器具としてのカメラ・ルシーダは画家に使用される機会が次第に減ってゆくことになります。その事実が意味しているのは、カメラ・ルシーダに欠けていて写真が持っている「画像の定着」という機能の重要性だったのでしょう。

松浦昇(東京藝術大学大学院映像研究科博士課程)

*1 ラテン語で“暗い部屋”を意味する光学装置。現在のカメラの原型となった。
*2 Secret Knowledge: Rediscovering the Lost Techniques of the Old Masters,2001