カルト・ド・ヴィジットと多眼カメラ[横浜市所蔵カメラ・写真コレクション]<
《ヴィクトリア女王立像》ジョン・ジャベツ・エドウィン・メイヨール/1861年/鶏卵紙
《ヴィクトリア女王立像》ジョン・ジャベツ・エドウィン・メイヤール/1861年/鶏卵紙、カルト・ド・ヴィジット
《サイモン・ウィング多眼湿板カメラ》サイモン・ウィング/1858年
「複製できる」という写真の特性をいかに活かすか、写真が生まれて間もない時代から、写真家や開発者たちは様々なアイデアを凝らして来ました。1854年にフランスのアンドレ=アドルフ・ウジェーヌ・ディスデリ(1819-89)は、撮影の際に、ガラス原板の一部を露光することを繰り返して1枚の原板に写真を8~12枚写す方法の特許を取得しました。原板から印画紙に焼付けた後、小さく切り分けられて台紙に貼られたこれらの写真は、当時、上流階級の間で互いの家を訪問する際に自己紹介代わりに渡されていた名刺と同じサイズだったため、カルト・ド・ヴィジット(名刺判写真)と名付けられます。カルト・ド・ヴィジットは写真の単価を大幅に下げ、互いの写真を交換したり、有名人の写真を集めたりする習慣を生み出します。「カルト・マニア」と呼ばれるコレクターも登場しました。
カルト・ド・ヴィジットは国際的な規格の一つとなり、「一度に何枚も撮れる写真術」のためのカメラの開発も後押ししました。ディスデリは、1860年頃には更に効率的に撮影するために、複数のレンズが付いたカメラを使い始めます。アメリカでもサイモン・ウィングが、名刺判や更に小さなジェム判撮影用の、複数のレンズと原板を動かせる機構の付いたカメラを売り出しています。カルト・ド・ヴィジットは写真の楽しみ方を広げ、一般の人々への普及に大きく貢献していきました。
*情報誌『アートあざみ野 vol.38』(2015年12月25日発行)「Gallery on the Magazine vol.34」より転載
カルト・ド・ヴィジットは国際的な規格の一つとなり、「一度に何枚も撮れる写真術」のためのカメラの開発も後押ししました。ディスデリは、1860年頃には更に効率的に撮影するために、複数のレンズが付いたカメラを使い始めます。アメリカでもサイモン・ウィングが、名刺判や更に小さなジェム判撮影用の、複数のレンズと原板を動かせる機構の付いたカメラを売り出しています。カルト・ド・ヴィジットは写真の楽しみ方を広げ、一般の人々への普及に大きく貢献していきました。
*情報誌『アートあざみ野 vol.38』(2015年12月25日発行)「Gallery on the Magazine vol.34」より転載