「横浜写真」[Gallery on the WEB vol.66]
鏡を見る女/制作年・制作者不詳/鶏卵紙


左:外国写真鏡之図/一川芳員/1860年/木版画
右:鏡を見る女/制作者・制作年不詳/鶏卵紙
右:鏡を見る女/制作者・制作年不詳/鶏卵紙
幕末に開港した横浜港からは多くの外国文化が流入し、写真もその一つとなりました。1860年にイギリス人、オリン・フリーマン(1830-1866)が日本で最初の営業写真館を開いたのに続き、1862年には日本人写真師、下岡蓮杖(1823-1914)が野毛で写真館を開業します。蓮杖の弟子の臼井秀三郎(生没年不詳)など、初期に活躍した写真師から技術を学んだ日本人写真師も次第に増え、横浜の外国人居留地とその周辺では多くの写真館が凌ぎをけずるようになりました。写真は当時の日本人にはまだ馴染みの無いものだったため、写真館の顧客は来日した外国人が中心でした。写真館は、彼らの肖像写真の撮影する他、外国への土産品として、日本の名所の風景や、習慣、文化などを写した写真を制作・販売するようになります。各写真館は競争相手と差をつけるために工夫を凝らし、モノクロのプリントに美しく彩色を施し、表紙に蒔絵や螺鈿細工が施された豪華なアルバムに仕立てたものや、ガラス板に焼付けて幻燈写真にしたものを販売しました。このような写真は、横浜を中心に制作されたことから「横浜写真」と呼ばれています。横浜写真の多くは、入念に「外国人の見た日本」を演出されたものでしたが、異なる文化が交錯した当時の日本の様子を今に伝えています。
*情報誌『アートあざみ野 vol.34』(2014年12月25日発行)「Gallery on the Magazine vol.30」初出、2025年3月31日改訂
*情報誌『アートあざみ野 vol.34』(2014年12月25日発行)「Gallery on the Magazine vol.30」初出、2025年3月31日改訂